ムー大陸(ムーたいりく/英: Mu)とは、ジェームズ・チャーチワードの著作によると、今から約1万2000年前に太平洋にあったとされる失われた大陸とその文明をさす。イースター島やポリネシアの島々を難を逃れた名残であるとする説もあった。しかし、ムー大陸の決定的な証拠となる遺跡遺物などは存在せず、海底調査でも巨大大陸が海没したことを示唆するいかなる証拠も見つかっておらず、大陸の存在自体が科学的に否定されている。氷河期の終焉による海面上昇によって水没した大陸棚とする説もあるが、そもそもが創作であるため、なんら考察に値しない。
1862年頃フランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブール (Abbé Charles-Étienne Brasseur de Bourbourg, 1814–1874)は、マドリードの王立歴史学会の図書室でユカタン司教ディエゴ・デ・ランダ・カルデロン (1524–1579)が書き残した『ユカタン事物記』を発見し、 マヤ文字とスペイン語のアルファベットを対照させた表 (ランダ・アルファベット) を見出した。ブラッスールはランダ・アルファベットを使ってトロアノ絵文書をキチェ語で解読し、トロアノ絵文書には「ムー」 (Mu) と呼ばれる王国が大災害によって陥没した伝説が描かれおり、アトランティス伝説と類似性があると1863年に発表した。実際のマヤ文字は表語文字と音節文字が混ざった複雑な体系であり、近年の解読によりこの翻訳が完全に誤りであったことが証明されているが(マヤ文字参照)、この論文により「ムー」という単語が生まれた。
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アメリカの政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー (Ignatius Loyola Donnelly, 1831–1901) は1882年発表の『アトランティス―大洪水前の世界』 (Atlantis, the Antediluvian World) の中で、ブラッスールによるトロアノ絵文書の解読を新大陸の文明がアトランティス文明の末裔であることの重要な証拠として引用し、ムー王国の話が有名になった。またジャージー島出身の遺跡写真家として知られるオーギュスト・ル・プロンジョン (Augustus Le Plongeon, 1825–1908)もランダ・アルファベットによりトロアノ絵文書を翻訳し、アトランティス大陸崩壊後にムーの女王モーがエジプトに渡り、女神イシスとしてエジプト文明を作ったと主張した。
英国陸軍には在籍の記録がないが、英国陸軍大佐を詐称していたアメリカ合衆国の作家、ジェームズ・チャーチワードによる説。彼は『失われたムー大陸』等の一連の著作で、太陽神の化身である帝王ラ・ムーを君主とした帝国が全土を支配し、白人が支配者である超古代文明が繁栄していたが、神の怒りを買い、一夜にして海底に沈没したと主張した。
チャーチワードによれば、1868年、16歳のときインドに従軍し、現地のヒンドゥー教の寺院の高僧が、寺院の門外不出の粘土板「ナーカル碑文(Naacal tablets)」を見せてくれたという。それには、ムー大陸(チャーチワードによると発音はMOO)の記録が絵文字で彫られていた。また、ウィリアム・ニーヴン(William Niven)なる米国の技師がメキシコで発見したという古代の石板からも、「ナーカル碑文」と同じ絵文字が記されていたという。それらを含めて、種々の古代文献を挙げて、ムー大陸が実在した証拠としている。さらに、チャーチワードは旧約聖書の『創世記』の物語はムー大陸滅亡の記録であると主張している。
しかしチャーチワードは、それら古代文献を翻訳した引用文しか発表せず、肝心の古代文献の原典そのものを証拠として示していない。特にその古代文献の中には、今もって解読されていないイースター島の碑文(ラパヌイ文字またはロンゴロンゴ文字と呼ばれるもので、実は文字であるかどうかも解っていない)が含まれており、明らかに創作である。